
クラウドファンディングの返礼品の一つ、イランの伝統工芸品、ミナカリをあしらった盾を手にする西田校長。突如の帰国で、返礼品は一部しか発送できていない=兵庫県丹波市春日町黒井で
1月、テヘラン日本人学校は子も教師も楽しみな、ビッグイベントが控えていた。
イラン製の老朽化した無骨な机、いすが、日本風のそれに更新される日が目前に迫っていた。政情が安定していたら、今頃はクラウドファンディングで得た寄付金で、イランの職人がオーダーメイドでこしらえた机といすで子どもたちは学んでいるはずだった。納品が、帰国後の1月27日。新品の机といすを無人の教室に搬入した写真が、現地のイラン人スタッフから届いた。
「みんなに使わせてやれず、残念。子どもたち自身が撮影、編集した学校を紹介するビデオレターを返礼品にする計画だったが、緊急帰国で届けられていない」と西田隆之校長(61)=春日町黒井=は無念さと心苦しさを抱えている。
ホワイトボードは黒ずみ、サッカーボールは皮が擦り切れそうになっていた。特に不便を感じたのが、重い机といす。備品台帳に購入時期「不明」とある机といすの更新を主目的に、西田校長が学習備品を充実させるクラウドファンディングを発案。昨年6月1日に寄付金募集を始めた矢先に「12日間戦争」が勃発。空爆のすき間に脱出、帰国中も募集を続け、卒業生や過去に勤務した教員ら88人から総額153万4000円が集まった。
「戻った時に、新しい机、いすで学べるように」と、避難先の日本から現地スタッフに指示し、イラン国内で、高さ調節ができ、天板が木製の学習机と、座面と背もたれが木製のいすを作れる所を苦心の末見つけた。年明けに試作品が届き、発注したところでデモが激しくなり、4度目の帰国を余儀なくされた。
自身の任期中に新しい備品を喜ぶ子の姿を見ることはかなわないが、これから在籍する子の学びの環境を改善できたと納得していたところ、2月24日に文部科学省から衝撃的な連絡があった。
「令和8年度は、教員を派遣しない。任期途中の教員は全員、他国の日本人学校に異動」だった。アメリカとイスラエルの攻撃で戦争に突入する4日前の決定。年度末の3月末で、実質休校を突き付けられた。
各国にある日本人学校は、全日制の私立学校だ。学習指導要領に基づき、小中学生に日本国内と同等の教育をする。日本からの教員の派遣と教員にかかる費用は国費。校舎の賃貸料や備品購入費などの運営費は、政府援助と保護者からの授業料でまかなう。
備品を充実させたのに、教員がいない。西田校長は年度末で任期満了で退任する。困るのは、大使館職員や商社の現地駐在員の子女だ。通える学校がなくなる。

無人の教室に運びこまれた日本風の新品の机といす。学校が再開され、使われる日を待っている。(テヘラン日本人学校提供)
「12日間戦争」の後、西田校長をはじめ教員は渡航安全レベルが「2」(不要不急の渡航は控える)になるまでテヘランに戻ることを許されなかったが、親の仕事の関係で「3」(渡航中止勧告)で、教師より先に戻った子もあった。この子たちに、同校の教員が、日本からオンラインで授業をした。新年度、テヘランに戻れた子どもと、誰が「教師―教え子」の関係を築き、学習や生活を支えるのか。
在籍者ゼロで、賃貸物件の校舎を維持し続けられるのか、経営上の問題も生じる。西田校長らは3月2日に上京し、政情が落ち着けば再開を、と文科省に再考を求めたが、決定は覆らなかった。
定年まで2年を残し、中央小校長を退職して赴任。3年任期のうち1年目こそ現地で過ごせたが、2年目、3年目は2度ずつ避難を余儀なくされた。子だけでなく、校長自身も不安定な政情に翻弄された。
40年に及ぶ教師生活の最後が、思わぬ形で幕を閉じようとしている。「次の校長にバトンを渡すことができない寂しさ、やるせなさはあるが、テヘラン配属で貧乏くじを引いたとは思わない。家庭的で、日本では味わえない学校風土を味わえた。同僚と共に苦難に立ち向かう得難い経験ができた」と声に力がこもる。「私のポリシーは、その時にできることを精いっぱいする。与えられた場所で咲く。これも人生の一部」と受け止めている。
現地時間の午後3時半(日本時間・午後9時)に、現地スタッフから国際電話で定期的に連絡が入る。学校は無傷だ。テヘラン日本人学校の再開見通しは立っていないが、バトンは確かに未来に託された。「置いていく。拾ってほしい」
一日も早く、子と教師の笑い声が響く、温かな学校が再開される日が来るのを願っている。再開に向け、国内からできる支援があれば、惜しみなく協力するつもりだ。 =おわり=

























