東日本大震災の発生から15年となった。当時、兵庫県丹波篠山市社会福祉協議会が行ったボランティアバス(ボラバス)に参加した同市の長澤宣久さん(86)は、幾度も東北をはじめとする被災地を訪れ、さまざまな作業に汗を流してきた。また、仲間と災害支援ボランティアグループを立ち上げ、一昨年からは能登半島地震の被災地にも足を運ぶ。15年前も、今も、丹波篠山から現地へ向かうボランティアの〝長老〟で、年を重ねたからこそ被災した高齢者の気持ちが分かるという。経験に裏打ちされた手際の良さで、仲間からの信頼も厚い。80歳を過ぎてなお被災地に向かう心の奥にあるのは、阪神・淡路大震災時の体験だ。
震度7の激震と、押し寄せる巨大な津波にのまれていくまち。遠く離れた丹波で、テレビの画面越しに大災害を目の当たりにして思った。「何とか役に立ちたい」―。
当時、71歳。5月になって社協がボラバスを出すことを知り、「70歳を過ぎているけれど」と問い合わせたところ、「健康ならばぜひ」と後押しされ、バスに乗り込んだ。
震災からわずか2カ月の東北。建物が倒れ、あちこちに元が何だったか分からないがれきが積み上がっていた。「とにかく水の恐ろしさを感じたし、想像もできない大変な被害で、『本当に復興できるのか』と感じた」
津波によって民家の中に入り込んだ泥を出したり、家財の搬出などを手伝ったりしたが、特に被災した人と話す際には言葉に気をつけた。「変なことを言って傷つけてしまってはいけないと、話すときは緊張したことを覚えている」と振り返る。
それでも作業をすると被災した人から喜んでもらったこと、自分にもできることがあると分かったことから、以降、何度もボランティアに参加。東北だけで5回訪れた。また、仲間と立ち上げたグループ「きずな」の一員として豪雨災害が発生した茨城や岡山、丹波市などの被災地に向かい、今は能登へも足を運ぶ。
被災した人には高齢者も多く、同世代だからこそ分かることもある。少しずつ自然な会話ができるようになった。
元県職員。1995年の阪神・淡路大震災時は、甚大な被害が出た兵庫県西宮市の土木事務所にいた。震災翌日、丹波篠山から6時間かけて事務所へ。以降は泊まり込みで道路などの復旧に当たった。
「あちこちで家が崩れ、2階が1階を押しつぶしていた。倒れた家の中から聞こえた目覚まし時計のアラームが忘れられない。半月ほどはサイレンとヘリコプターの轟音が響いていた」
被災状況の調査のため、外部からやってきた専門家を案内しているとき、住民から怒号が飛んだ。
「外から見ても何も分からへん。中に入って見ろ」
気持ちは痛いほど分かったが、「あのときは、『公務員として皆さんの役に立ちたい』という思いがある一方で、与えられた業務を置いてほかのことはできなかった」と言い、「だからこそ、今、被災した人から頼まれたことをできるボランティアをしているのかもしれない」。
何度も通う被災地。土木事務所時代の経験を生かしてボランティア仲間をまとめ、効率よく、作業を進める旗振り役を務めることもある。
持病はなく、足腰もしっかりしているとはいえ、「自分が行って現地に迷惑をかけることはあってはならない」と、日頃からの健康管理も忘れない。
熱い思いを胸に乗り込んだボラバスだったが、空席が目立つこともあり、「もっと若い人が多いんじゃないかと思っていたので驚いた」。ボランティアに行くことが全てではないと分かりつつも、「今の時代、自分だけ良ければいいという人が多いように思う。もっと人と人のつながりが大事じゃないか」と指摘する。
80歳を超え、体がいつまで持つかという心配もある。それでも「被災地の役に立ちたいという気持ちはずっと変わらない。そんな気持ちを若い世代にも伝えていけたら。きっと人の輪があれば、ボランティアに行く人も増えると思う」と前を向いている。



























