手漉き和紙の里にあり、全国の紙業の神様として崇拝される福井県越前市の大瀧神社(上島晃智宮司)の関係者が9月9日、柏原八幡宮(千種正裕宮司)を訪れた。大瀧神社の本殿・拝殿は、柏原八幡宮の図面を参考に建てられた可能性があり、視察した関係者たちは「本当に良く似ている」と感慨深げに話していた。両神社の社殿は、共に国の重要文化財に指定されている。
両神社の社殿は、本殿の流造(ながれづくり)の屋根と入母屋造、妻入の拝殿の屋根が連結した複合社殿で、正面は唐破風造、桧皮葺きと共通点が多い。大瀧神社の屋根は、拝殿と接続する本殿の屋根に、唐破風と千鳥破風がある点が異なっている。
来年1300年大祭が開かれる大瀧神社の現在の拝殿・本殿は、1843年(天保14年)に建てられた。永平寺の唐門を手がけた大工、大久保勘左衛門が工事を行った時の図面が、同神社に残っている。柏原八幡宮の現在の社殿は、1585年(天正13年)に建てられたもので、建ったのは柏原が先。
遠く離れた丹波と越前を結んだ人物が、篠山藩の藩校の教員、坪井梅山の三男か四男で、越前市の三田村家に養子に入った三田村長門。三田村家は武家で、農家が漉く越前和紙を統括していた。三田村家に長門を篠山藩から養子に迎えた記録が残っている。
長門が、篠山藩に近い柏原八幡宮の図面を大久保に見せたのではないか、というのが大瀧神社関係者の見立て。