小学生の時、遠足先で他校の生徒に出くわすと、「〇〇の学校、ボロ学校、雨ーが降ったらじゃーじゃー降り」とはやしたてたものだった。戦後まもなく、ボロ校舎が少なくなかった頃の話。▼今ではどこも鉄筋コンクリートに建て替わり、体育館やプールまで付いている。しかし生徒の方は数が減って、統合のため折角のきれいな校舎が不要になる所も出てきた。▼今春から統合で小学校がなくなった青垣町の神楽で、地区のイベント「春の祭典」に合わせて、廃校舎が開放されているのを覗いた。廊下に毎年の卒業生の記念写真が展示されていた。▼昭和30年代初め、筆者の年次のを見ると、高校で一緒になった同級生らしき子供も写っていた。人数は50人。それより数年後の“団塊の世代”になると60人を越える。しかし「144回目」という今年の卒業生は11人。▼7、8年前、何故だったか忘れたが、この神楽地区の運動会を見に行ったことがある。住民が皆きびきびと動き、よくまとまっている感じがした。この日、学校の近くで開かれた春の祭典も、賑やかで楽しそうだったが、廃校は皆の心に大きな空洞を空けているに違いない。机がすっかり片づけられた教室は静まり返っていた。建物を再利用し、どのように地域の活性化につなげるのか見守りたい。(E)