独立法人で意識改革
日本鉄道建設公団企画室調査役 太野垣 泰博さん (横浜市在住)
(たやがき・やすひろ) 1954年 (昭和29年) 篠山市東新町生まれ。 篠山鳳鳴高、 京都大工学部卒。 78年鉄建公団入社。 東京、 大阪支社等を経て、 2002年より本社企画室
日本鉄道建設公団は、 東海道新幹線が開通した1964年の設立以来40年間、 新幹線を初め全国の鉄道建設を通して、 日本の鉄道技術の継承発展、 また日本経済の基盤確立に大きく貢献してきた。 今年10月には構造改革の一環として運輸施設整備事業団と合併し、 独立行政法人になる。「私は昨春から独立行政法人化を担当し、 合併と変革に備える仕事をしています」
公団から行政法人に変わると、 国土交通省から監督される部分をできるだけ少なくし、 業績を第三機関による評価に委ねることになる。 「これまで公団はPR下手でした。 長野新幹線ではオリンピックに間に合わせるのにずいぶん厳しい工程を無理して完成しましたが、 それに見合う評価がなかったんです。 これからは社会から認められる、 評価してもらえるからやりがいがあるという風に、 社員一同意識改革を促されています」
モノづくりの達成感を得たくて公団に就職した。 「日本の土木技術の水準は世界一と言っても言い過ぎではありません。 地形が複雑で困難があるからこそ、 『失敗の情報』 を生かして、 優れた技術を生むことができたのです」。 ただ、 現場で土木屋としての充実感を味わえた時期は短かく、 管理職となってからはモノづくりの現場から遠のいている。
今の職場では、 法律と首っ引きになる時間が増えた。 全国の事業所のコンピューター化の推進も仕事の一部。
この3月から本社管理部門が東京・永田町から横浜の新築ビルへ引越したばかり。 「国の機関が集中しているのを分散する目的で、 引越先から日程まで法令で決められていました。 荷解きと合併への準備に追われて、 毎晩子どもが寝静まった後、 帰宅です」 と苦笑する。
「私は優等生タイプでしたが、 激動の時代にはマニュアル人間から脱皮し、 自己変革をしなければと自分に言い聞かせています。 子どもにも、 失敗を恐れず何事も思い切りやらせたい」
正月に、 高校卒業後30年振りに同窓会があった。 「郷里の友達は利害を超えて本音で語り合える。 心のよりどころですね」
(上 高子)