「更け行く秋の夜 旅の空の わびしき思いに ひとり悩む」で始まる唱歌「旅愁」。この名曲は、明治時代に兵庫県丹波市柏原町の旧制柏原中学校(現・柏原高校)で音楽教師をしていた犬童球渓(いんどう・きゅうけい)が作詞したもので、犬童が教師としての一歩を踏み出した同市で現在、「旅愁」の記念碑を建てる計画が持ち上がっている。市内有志でつくる実行委員会によるもので、平成の年号が改まる来年5月1日の完成式をめざしている。
授業ボイコットも受ける
犬童は明治12年、現在の熊本県人吉市の生まれ。東京音楽学校(現東京芸大)を卒業したあと、同38年4月、創立間もなかった旧制柏原中に赴任した。しかし赴任の前年に日露戦争が勃発し、同中学校では学校を開放して時局講演会などが催された。学校職員や卒業生にも出征する者がおり、生徒たちはその歓送激励、慰問などの諸行事に参加。軍人を志す生徒も増えた。
血気にはやる生徒の心に落ち着きを取り戻すため、新設された音楽科だが、フォークダンスまがいの体操を教えても「軟弱だ」とスト騒ぎを起こした生徒たちの間では、音楽の授業をまじめに受ける雰囲気はさらさらなかった。
机を打ち鳴らす。床をける。ヤジを飛ばす。授業ボイコットに始まり、果ては全校ストライキにまで及んだ。口数少なく、内向的だった犬童にとって悶々たる日々が続き、心身がむしばまれていった。そして、赴任した年の12月、辞職願を診断書とともに提出した。
診断書には「神経衰弱兼右肺尖浸潤」と病名が記され、「本年五月以来、頭痛、頭重、食気不振等ノ症候ヲ来シ…常ニ精神沈鬱状態ニ陥リ、記憶力減弱シ、胸内苦悶ノ感アリ」としている。さらに今の状態は「栄養佳良ナラズ、胃部ニ於テ圧痛アリ、頭重及ビ不眼等ノ徴候アリ」とし、「故ニ現職ニ堪ヘザル者トス」と結論づけている。
傷心を抱きながら同市柏原町を去った犬童は、次の赴任先となった新潟県立新潟高等女学校で「旅愁」や「故郷の廃屋」を作った。
犬童にとって、柏原町は失意の赴任地ではあったが、故郷の熊本の山河に似た土地には愛着があったようで、後に柏原中校歌の作曲も引き受けている。
碑に歌詞刻み音響装置で曲も
記念碑は、同市柏原町のたんば黎明館(旧柏原高女跡)前の道路向かいに建てられる。丹波の自然石(幅1・6メートル、高さ1・6 メートル)に黒御影石をはめ込み「旅愁」の歌詞を刻んだもので、犬童の人物紹介やこの詞を作った経緯などを解説した副碑を添える。さらにその横にボタンを操作すると旅愁の曲が流れる音響装置を設置。曲は市内の合唱グループが歌う。
建立委員会の進藤凱紀会長は、「計画は10年ほど前から温めていたが、今年は『童謡唱歌百年』の年でもあり、たんば黎明館を訪れる観光客らから一層脚光を浴びると期待している」と話している。