柏原藩の藩政改革を進め、「丹波聖人」と言われた小島省斎にこんな言葉がある。「子孫にのこして、子孫失はんと思へども、失ふこと能(あた)はざるものは徳なり」。徳は確実に子孫に継がれていくから、人は徳を積むように努めなければいけないと説く。▼家に継承された徳は家風となり、地域に受け継がれたそれはやがて風土と化す。風土は地域の背骨となり、その土地に住む人たちの価値観や行動に何がしかの影響を与える。地域特有の文化が失われ、その土地の風土が薄れている現代だが、地方の時代とは、風土に裏打ちされた独自の地域性をつくっていくことだと思う。▼さて、学問を尊んだ省斎は、ときの柏原藩主に教育の場が必要であることを力説し、安政五年(1858)に藩校「崇広館」をおこした。崇広小学校の校名の由来となるなど、この藩校は有形無形に地域の風土にこん跡をとどめている。▼今に残る崇広館の建物が解体されるという。解体後の扱いについて関係部署で協議を進めているらしいが、後世に残すべく保存することを望みたい。▼子孫に徳を伝え、徳に根ざした風土を地域に残そうとした省斎だが、木の根橋近くにあった省斎の屋敷はすでに姿を消した。崇広館も同じ運命をたどると、省斎がこの地域にともした明かりも消えてしまうようだ。(Y)