ホッケーの芽

2007.01.29
未―コラム記者ノート

 篠山にとって、7年越しで準備してきた一大祭典が終わった。のじぎく兵庫国体ホッケー競技会。篠山市がホッケー会場に内定したのは1999年のことだった。「ホッケーの普及をやれ」。命じられた市職員も、手探り状態だった。 市ホッケー協会副会長を務める本晃代さんは、ジュニアクラブの保護者として、初めてホッケーに関わった。ジュニア教室に参加者が集まらず、「ルールが同じだから」と、少年サッカーをしていた息子2人に要請があったのがきっかけだった。 それから7年。長男は、少年男子の県代表として国体に出場し、次男が所属する市中学ホッケー部は、全日本中学生選手権で3位入賞した。 篠山中教諭の鈴木良子選手は、2000年に篠山に赴任し、ホッケーとは縁遠かった場所で、選手を一から育て上げた。3位決定戦で敗れた後、市職員で事務局としても準備に明け暮れた岡花宏明選手はしみじみと言った。「長い間取り組んできたので、こみ上げるものがある」。 男子ジュニアユースの日本代表に、篠山中の倉橋歓君が選ばれた。関係者の並々ならぬ努力に応え、次の芽は、もう出ている。(徳舛 純)

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