夜の秋

2019.08.25
丹波春秋未―コラム

 我が家の湯船につかっていると、どこからとなく虫の音が聞こえてきた。日中はまだ暑いものの、夜になると涼味を感じるようになり、虫の音も聞こえ出した。秋が忍び寄ってきていることを感じるこの頃の夜。それを「夜の秋」という。

 「秋の夜」ではなく「夜の秋」。夏の季語になっている言葉だそうで、文芸評論家の山本健吉氏は「俳人の季節の移り変わりの微細な感じを捕えた言葉である」と書いている。まさにその通り、繊細な感覚の生きた情趣のある言葉だ。

 思想家の内田樹氏の著書を読んでいて、東京のある公立小学校で「え段を使わないようにしよう」というキャンペーンを児童会が展開していることを知った。「てめえ」「死ね」など、最後が「え段」になっている言葉を使わないようにしようという運動だ。

 そこには、日頃使う言葉がその人の情感を左右するという考えがあるのだろう。内田氏は「情感を表す語彙が乏しくなったので、現代人は情感が乏しくなった」という。「夜の秋」のような言葉に触れることなく、殺伐とした言葉に接し、口にしていると豊かな情感が育つ道理がない。

 最近、話題の「あおり運転」の無法者はきっと「てめえ」「死ね」に類する言葉の環境下にいるに違いない。言葉をぞんざいに扱う者は、言葉の報復を受ける。(Y)

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