植野記念美術館で「山下清」展が開かれている。放浪画家として有名な清は昭和15年、18歳のときに初めて放浪の旅に出た。以来、自宅に戻ったり、旅に出たりの生活を約15年間にわたって繰り返した。▼放浪中に使ったリュックサックには護身用の石ころを入れていたというから、危険な目に遭ったことがあるのかもしれないが、おにぎりやふかし芋をくれる家が10軒に1軒はあったという。紹介状や履歴書がなくても、住み込みで働けるところもあったそうだ。▼山下清という放浪画家が生まれたのも、当時の社会背景を抜きにしては考えられない。現代なら、どうかと思う。夏は浴衣に下駄履きというスタイルで、しかも見知らぬ男だ。おそらく不審者として拒絶され、排除されるだろう。人の情けがあったから、清は放浪ができた。▼「情けは人のためならず」の意味を、「人に情けをかけるのは、その人のためにならない」と誤解している者が多くなり、「袖触れ合うも多生の縁」もあやしくなった。袖が触れ合うような、ちょっとした出来事も前世からの因縁という意味だが、今は、すれ違ったときに袖が触れ合うだけで傷害事件が起きかねない物騒な世の中だ。▼こうした言葉が、民衆の世間智として生きていた時代が昭和にはまだあったと、今日、「昭和の日」に思う。(Y)