親父の創造

2007.06.18
丹波春秋

 中野重治の小説『村の家』に、凛とした父親が登場する。左翼運動に携わり、共産主義者として監獄に放り込まれた主人公が、転向の意思表示をし、釈放されて「村の家」に帰ってくる。主人公である息子に、父親は言い放つ。「人間を捨ててどうなるいや」。▼「お前がつかまったと聞いた時にゃ、おとっつぁんらは、死んで来るものとしていっさい処理してきた」と言う父親。ひとたび志を立てたなら、たとえ死のうとも志は貫くべきであり、それが人としての道であると叱咤する。その毅然とした倫理観には襟を正される。同時に、父親としての正真正銘の強さに感嘆する。▼昔の父親は強かった、とよく言われる。しかし、『村の家』の父親は別にして、その強さは家父長制度の社会システムが後ろ盾になっていただろう。制度によって、父親の強さが守られていた。▼今は違う。権威が否定される風潮のなかで、父親に権威をもたらす後ろ盾は取りはずされた。それはそれでいい。しかし、子どもの死を覚悟し、「志は貫くべし」と言える父親の強さは今も求められる。▼河合隼雄氏は、「親父には自分の意見や考えを述べ、子どもや妻と一対一で向き合える。ときには対決に近いことをする強さが必要」という。そんな「親父の創造」(河合氏)が迫られている。きょうは「父の日」。(Y)

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