いよいよ、東京五輪の年が始まった。全国を聖火ランナーがめぐり、ムードを盛り上げる。兵庫県丹波市出身の里勝安さんは、1964年東京五輪で聖火の最終ランナーの候補に挙がった。64年当時、早稲田大学4年生で陸上部のキャプテン。大学在学中の4年間、毎年、箱根駅伝を走り、東京オリンピック代表選手最終選考会の1500メートルでは惜しくも2位。代表選手の座を逃したものの、あと一歩に迫った韋駄天だった。そんな活躍から最終ランナーの候補になったという。
同市の柏原高校3年生のとき、国体の1500メートルに出場し、4分00秒5の大会新記録で優勝。一浪して早稲田大学に進んだ。箱根駅伝では、2、3年生のとき、“花の2区”に出場し、2年生時は区間2位だった。61年の日本陸上競技選手権大会の1500メートルでは3分58秒のタイムで優勝した。
大学卒業後、神戸製鋼に入社、実業団でも活躍した。出身地の郵便局長を務めていた2000年、病気のため58歳で亡くなった。
妻の美代子さん(72)は、「まじめで努力型の人でした」という。里さんが遺した高校時代の日記には陸上競技に関する克明な記述がある。「意地になっても走ってやらあ。おぼえておれ。俺の一生を左右する大事な時期だ」などとあり、日記を書くことを通して自分を見つめ、闘争心を奮い立たせていたよう。
長女の田中和佳子さん(44)は、父親の葬儀のとき、里さんと関わりの深かった人たちから聖火の最終ランナーの候補になったことを聞いた。「そのときに初めて知りました。もっと聞いておけば良かったと思うと同時に、偉大な人だったと思います」と話していた。