四国八十八ヶ所巡りといえば、真言宗の開祖・空海(弘法大師)ゆかりの仏教寺院88カ所を巡る巡礼(お遍路)。全てを巡ると、「結願」となり、「病気が治る」「願いがかなう」などと伝えられている。この巡礼、四国に行けない人々のために短期間でお遍路に行ったことと同等の功徳が得られる縮小版が各地にある。しかし、管理する人々の高齢化により、維持が難しくなってきており、兵庫県丹波市内のある縮小版では、山中に点在する石仏を集めて一カ所でまつる祠を建てるなど、管理しやすいようにしながら、「信仰」を次代につなぐ取り組みが行われている。
さまざまなご利益があるとされる四国八十八カ所巡りだが、その総延長は1100キロ以上にも及び、徒歩では40日程かかることから、古来、各地に縮小版が作られている。
丹波市市島町下竹田の表自治会2―4組の18軒で組織する「表お大師様管理会」は、同自治会と隣接自治会にまたがる山中の約6キロにわたって造られた縮小版遍路道の75カ所に点在していた石仏を、麓の1カ所に集めてまつる祠を建てた。管理会の高齢化が進み、定期的に行ってきた維持管理作業が困難になっていたためだ。
山中には5番霊場から80番まで(19番を除く)の石仏がまつられており、いずれの個所でも、各霊場の本尊石仏と弘法大師像を1対にして安置していたが、より管理しやすいようにと自治会公民館そばの山際に移設した。
祠はコンクリートを敷き、トタン屋根や木の壁で囲った幅十数メートルの3棟。その中に石仏計149体(平成26年8月丹波市豪雨災害で大師像が1体不明)をずらりと安置した。赤いよだれかけを取り付け、それぞれの石仏に寺名、所在地、真言、本尊などを記載した札を掲げた。
同所の霊場は、宝暦年間(1751―64年)、下竹田村字袋谷に88体の石仏を安置したことから始まったと伝わる。
大師1050回忌に当たる1884年(明治17)、地元の名士らが発起人となって浄財を募り、火除け(火災封じ)を願う村人らによって遍路道を整備した記録が残っている。「これ以後、御利益からなのか、表自治会では火事が起こっていません」と、管理会世話役の一人、竹内恭彦さん(67)が言うように、長年にわたって信仰を集めてきた。
遍路道は山中だけでなく集落内にも及び、1、2番は表自治会の地蔵堂、3番は隣接する森自治会の地蔵堂、4番はそばの二宮神社境内、19番と81番から88番は表自治会公民館近くの成願寺の境内奥の立江堂とその周囲に安置されている。
安置する際、村人たちが四国の霊場まで出向いて集めた土を入れた壺を納めたとされており、今回の移設作業で実際に土の中から直径5センチほどの壺が見つかっている。
1975年頃には木製だった祠をコンクリート製に改修するなど大切に管理してきたが、時代の流れと共に信仰心も薄れ、最近では遍路を行う人はほとんどいなかった。
それでも「先人の思いを大切にしたい」と、毎年、春と夏に遍路道の掃除や補修作業を続けてきたという。
竹内さんは、「麓に全員集合していただいた。これからは気軽にお遍路ができ、すぐに結願できるので、ほかの地域からも多くの方に参ってもらいたい」とほほ笑み、「新型コロナウイルスが収束したら、四国へ出向き、各霊場の土を集めて回ることができたら」と話している。
丹波市内には同所のほかに、山南町和田、同町岩屋、同町谷川、氷上町成松、青垣中学校裏山で確認されている。