7月24日に兵庫県丹波篠山市山内町で発生した大規模火災―。市は被災者から「重機が入る前に焼け残った家財を探すのを手伝ってほしい」との要望を受け、このほど市社会福祉協議会を通じてボランティアを現地に派遣。2日間で約20人のボランティアが焼け残ったものを運び出したり、大切な品を探したりする活動に励んだ。記者もボランティアの一人として参加。「同じまちで暮らす人たちのために」と駆け付けた人々と共に活動した。
火災の熱で鉄骨も車もひしゃげ、焼け焦げた柱だけが残った家などが並ぶ現場。いまだ煙の臭いを感じた。中心市街地内にあって、日常と被災地が入り混じっている。
集まったボランティアを前に、自宅が焼けた男性(72)が悲痛な面持ちで告げた。「財布以外、ほとんど何もかも焼けてしまいました。写真や貴重品などが残っていたら探してほしい。思い出も何もかもなくなってしまったので。徒労に終わるかもしれませんが、よろしくお願いします」
社協の要請に応じて集まったのは、災害支援ボランティアグループ「きずな」や市内の社会福祉法人でつくる「ほっとかへんネット」、普段から地域でボランティア活動に励む人々など。高校生の姿もあった。
スコップなどを手に家に入る。家族が暮らした家はほとんどが焼失しており、天井があった場所からは容赦ない日光が降り注ぐ。
貴重品やアルバムなどがあったとみられる場所を中心に探索を進める。炭化した建築材が60センチほどに堆積し、掘れども掘れども炭や灰ばかり。火災がいかに何もかも焼き尽くすかを痛感した。ただ、いつ貴重品が出てくるか分からないため、慎重にスコップを振るった。
30度を超す炎天下のため、数分で汗が噴き出す。空気は乾燥し、掘るたびに炭の粒子が舞い上がる。マスクは一瞬で黒く染まった。「何かある」―。そんな声が上がるたびに手で炭と灰をかき分けていく。ほとんどが焼け焦げて、使用できない状態。男性は見つかったものに目を向けながら、「懐かしいものばかり。でもつらいですね」と声を絞り出した。
約5時間の作業で、わずかながら写真や書類、硬貨などを見つけることができた。集めていた途中だった御朱印帳もあったが焦げてしまっていた。
どれほどの力になれたか分からなかったが、男性は、「みなさんが来てくださって、本当にうれしかった。自分たちだけではとても無理で、家の中に入る気力も湧かなかったけれど、ようやく入ることができた。本当にありがとう」と何度も感謝の言葉を述べた。
ただ、「今は親戚の家に世話になっているけれど、70歳を超えて家を建てるのも難しい。でもここに戻ってきたいという気持ちもある。これから先、どうしたらいいか、まだ分かりません」と漏らした。
東日本大震災や各地の豪雨災害現場に出向いてきた「きずな」の男性(76)は、「水害と火災の現場では全然違う。どこの災害現場でも、対応が予定通りいかないことを痛感した」と言い、別の男性(81)は、「まさか地元でボランティアをするとは思わなかった。歴史あるまちの一角が燃えてしまったことは残念。何とか立ち直ってほしい」と祈りを込めた。
高校3年の男子生徒は、「火事はすごいことになると感じたし、手作業では自分たちの力の弱さも感じた。一日も早く元の生活に戻ってほしい」と話していた。
現場でのボランティア活動の要望は2日間の作業でいったん終了し、状況に応じて実施していく。
しかし、火災によって最もダメージを受けているのは被災した人たちの心。暮らした土地を離れ、生活を再スタートしなければならない人々の心のケアは今後も求められる。