天長6年 (829年)、 平城天皇の子、 高岳 (たかおか) 親王により創建。 この寺は平安時代の数々の天皇と縁が深く、 平家も荘園に関わっていた。 多称寺とは姉妹関係の寺である。 多称寺の巨大な仁王像とそっくりなミニチュアがある。 国の重文の仏像が6体あり、 室町期建立の三重塔もすばらしい重文である。
急斜面の石段を上がると、 本殿の向拝 (こうはい) に立体感あふれるすばらしい竜の彫刻が目に入る。 その上には、 天女が二人舞を舞っている。 唐破風 (からはふ) には大きな鳳凰が飛翔している。 また左右の木鼻 (きばな) には、 唐獅子と獏の聖獣があたりをにらんでいる。
竜の裏面に中井権次正貞の銘が、 他のどこの彼の銘よりも朱色が濃く鮮やかに印されている。 この竜に対する彼の思い入れの強さがしのばれる。
元高校教諭 岸名経夫