平安時代創建。紀元前後、この地は沼沢池であり、地名の澤田がその証である。出没する大蛇を沈めるため、 村人は鱧(はも)を用いて祈願したのであろう奇祭が、「鱧切り祭」 である。
整備の行き届いた境内をゆくと、 拝殿の向拝の左右向き合った阿吽の竜、 その上部の竜2頭、 さらに兎毛通しの鳳凰がまず人目を引く。 木鼻には唐獅子と獏、 飛龍も見える。 社殿の周りは、 彫り物のオンパレード。 鯛、 亀、 虎、 鹿、 兎、 鷺、 山鳩、 中国の仙人など、 とりわけ手挟みの鸛(こうのとり)は、 今まで見てきていない珍しいものだ。
脇障子には、 5代目中井丈五郎正忠、 6代目中井文五郎正貞、 後の中井権次橘正貞の銘が彫ってある。 1800年初期の制作と思われる。 正忠50―60歳代、 正貞は元服前後の20歳ごろではなかろうか。 ともあれ、 脇障子の彫り物とその銘は、 2人のコラボレーションの秀逸である。
元高校教諭 岸名経夫