創建時不詳であるが、記紀にも出てくる延喜式内の古社である。出石城址の麓の有子山稲荷社に隣接する、静ひつな地域に佇む神社で、一見目につきにくいが、代々出石藩主にいたく尊崇されてきた。祭神は、天の日槍命の子の但馬諸助神である。現在の社殿は明治17年(1884)に竣工。
本殿正面の唐破風に大きな鳳凰が羽を大きく広げているのが見える。手挟みには、鶴が波の上を飛翔している。木鼻には迫力満点の阿吽の唐獅子が下界を睨んでいる。目じりの赤色が鮮明である。この社殿の特色は応神天皇がテーマになっている。社中央の扉の左側には、幼子の応神天皇を抱く武内宿禰、右側には生母と言われる馬に乗った神功皇后、向拝上には、鷹を退治する成人した応神天皇、その上には屋根を支える力士が見える。8代目中井権次橘正胤30歳頃の逸品で、このころから彼はこのテーマを多用している。
中井権次研究家 岸名経夫