創建は丹後が丹波から分離した713年より少し古い700年頃と言われている神社である。この社は四辻から北へ少し行った幾地のバス停を右折して集落の背後の山裾に佇む。祭神は若御魂神(ワカミタマノカミ)。神社への道の左右の山間は整備が行き届いて好感が持てる。
石段を上がってまず目に入ったのは、狭い梁間の空間ながら左上空を睨み、宝珠をしっかり握り胴体の大きな竜だ。惜しむらくは、胴体にほぞ穴が開いていて何か興味をそそるものが装着されていたが、今となっては分からない。本殿向拝には骨太の竜が、髭を生やし大きな目の後ろを赤く塗り、左下方を威嚇している。木鼻には定番の阿吽の呼吸の大きな唐獅子と獏が辺りを睨んでいる。兎の毛通しには、鳳凰が今にも飛び立たんとしている。脇障子は中国の神仙説話をモチーフにしている。竜の裏面に丹波氷上郡柏原町居住、彫刻師8代目中井権次橘正胤とある。
中井権次研究家 岸名経夫