創建は奈良時代天平13年(741)、聖武天皇による、全国の国分寺の一つとして建立。室町時代の雪舟の天の橋立図には五重の塔と金堂が描かれているが、その後焼失し、すぐ近くの丘陵地に17世紀末期に移転した。ここからの眺望は、成相山からのそれには劣るが、素晴らしいロケーションである。
石段を上がった所にある本殿の向拝に近づく。大きな木組みなので、彫り物もなかなか大きい。まず中央に竜の彫り物だ。立体感溢れるものだ。首をめぐらし左上方を睨んでいる。宝珠をしっかり握り、髭を立て、いらかもしっかり立て、躍動感がいや増している。定番の木鼻の唐獅子と獏も大きくがっちりしたものだ。手挟みには飛翔する鶴が1羽、うまく彫り込まれている。上部には天女が2人雅楽を楽しんでいる。1人は横笛を、もう1人は笙の笛を奏でている。誠に艶美そのものである。8代目中井権次正胤の銘が竜の裏面にある。
中井権次研究家 岸名経夫