所在不明だった「褒賞証」 継承者が市に寄贈 明治期の博覧会で黒大豆「有功二等」に

2023.02.16
地域歴史

波部本次郎氏が受賞した褒賞証と、市に寄贈した充さん=兵庫県丹波篠山市北新町で

兵庫県丹波篠山市が誇る特産・黒大豆をより高品質なものへ発展させた波部本次郎氏(1842―1916年)が、明治28年(1895)に開かれた「内国勧業博覧会」に黒大豆(波部黒)を出品し、「有功二等」を受賞した際の褒賞証がこのほど、市に寄贈された。丹波黒大豆の栽培が「日本農業遺産」に認定される上で、その栽培が伝統的であることを証明した重要な史料の一つ。存在は知られていたものの、現物は所在不明だったため、市は「非常に貴重な史料を寄贈していただいた」と喜んでいる。

寄贈したのは波部充さん(83)=同市井ノ上=。充さんらが「本家」と呼ぶ本次郎氏の家を家じまいした際、さまざまな物品が他家へと受け継がれたという。

波部本次郎氏

褒賞証は20年ほど前、明確な血縁関係はないものの、同じ波部姓の充さんのもとに親戚から託されたそう。床の間に飾って大切に保存・継承していたところ、遺産認定を伝える市の広報で褒賞証の画像を目にし、現物を寄贈しようと思い至った。

市は、旧町時代に編さんされた町史や画像データで褒賞証の存在を把握していたが、複数の家で受け継がれていたとみられ、現物の所在は分からなくなっていた。

江戸時代から丹波篠山の名物として文献に登場する黒大豆。篠山藩が質の良い黒大豆を栽培するよう奨励したことを受け、本次郎氏の父で日置村の豪農大庄屋だった六兵衛氏が、良い種だけを選び出していく「選抜育種」に着手した。その後、父の志を継いだ本次郎氏は明治4年(1871)、大粒の品種を選び出し、「波部黒」と名付けて各地で栽培を勧めた。

その評判を聞きつけた全国各地の農事試験場や農学校から種の配布を求められるなど、丹波篠山の黒大豆の評判をさらに高めることにつながった。

内国勧業博覧会はさまざまな部門があり、出品数は数十万点。うち4114品が出品された大豆の中で、波部黒は最高ランクの5品に選ばれた。「品質が良く、粒形が均質で、乾燥も適切。良い品物ができているのは選抜育種による」と評価され、「物産の増産、販路拡大、低価格化などに功労がある者」に贈られる有功賞を受賞した。

充さんは、「生きている間に寄贈できて良かった」と安堵。自身も黒大豆を栽培しており、本次郎氏の功績については、「本当に立派な人で、おかげで現在の市民も市も潤っている」と尊敬し、特産の今後については、「農業全体が衰退していっているが、良い種があるので、これからも頑張って作ってほしい」と期待する。

市は、「日本農業遺産の認定にはなくてはならなかった史料の現物。黒大豆が昔から栽培されていたことを市内外の人に知らしめることができる」と感謝していた。

褒賞証は市内の歴史施設などで保管・展示するほか、農業関係の行事などでも公開し、農業者の意欲向上につなげる予定。

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