兵庫県丹波篠山市内にあった鉄道「国鉄篠山線」に詳しい松本剛さん(63)がこのほど、「八上」と「村雲」の2駅に掲げられていた「駅名板」を入手した。青地に白で駅名が書かれた手製の看板が、郷里を走った往時の鉄道を思い起こさせる。かつて篠山口駅と福住を結び、マンガンなどの資源と通勤・通学する人たちを乗せて運行した篠山線。2月29日は、51年前に廃線となった篠山線の最終列車が走った日―。
縦約80センチ、幅約15センチの看板は、いずれも鉄板に塗料を塗って仕上げた「ホーロー看板」。駅名はひらがなで書かれ、駅の柱に掲げてあった。
古物商で販売されていることを知った松本さんが2月18日に購入。篠山線に関連したさまざまなものを展示している城東公民館の展示コーナーに収蔵した。
国鉄篠山線には、▽篠山口(大沢)▽篠山(北)▽八上(八上上)▽丹波日置(日置)▽村雲(向井)▽福住(福住)―の6駅があった。1972年(昭和47)の廃線後、駅は取り壊され、さまざまな物品が処分されたり、各地に散ったりした。
松本さんによると規模の小さな駅だったことから、駅名板などは貴重という。
おもちゃのレールを使って篠山線の姿を再現するなど、さまざまな関連イベントを開いてきた松本さん。お別れ列車の運行から51年目になって駅名板を手に入れたことについて、「コロナ禍もあり、最近はほとんどイベントができていない。篠山線から『そろそろ何かしろ』と言われているようで夜も眠れないし、運命のようなものを感じている」と苦笑する。
残る4駅の駅名板も集めたいと考えており、「元国鉄職員など、篠山線関連のものを持っている人もだいぶ高齢になっておられるはず。もし自宅や蔵に駅名板や切符、時刻表など、何かあれば、ぜひ教えてほしい」と言い、「里帰りさせてあげられる駅はもうないけれど、自分が生きている間は日の当たる所に出してあげたい」と話している。
国鉄篠山線 1944年に開業し、篠山口―福住間を6駅約17・6キロで結んだ。太平洋戦争中、丹波篠山市内で産出するマンガンや珪石の輸送を主な目的として建設されたが、利用者の減少から1972年に廃止された。