作家の水上勉氏は、「愛」という言葉を使うことを意図的に遠ざけた。1970年ごろに書かれたエッセイによると、それまでに出した100冊余りの著書の中に、もしも「愛する」などというセリフの入ったページがあったなら、破り捨てたいと書いている。▼愛の重みを知っているから、軽薄に愛を語れない。身を切られるような体験があった水上氏には、そんな思いがひとしお強い。▼障害のある幼子に、妻が自分の骨を切り取って、子に植えつける手術をした。障害のために歩けない子どもを歩けるようにしたいという「母親の愛」に、妻は手術に耐えた。手術後、酸素ビニール袋の中で子どもは名前を呼んだ。それは、妻ではなく、お手つだいさんの名だった。父親の水上氏は涙を流した。▼「骨をやっても届かない『こころ』」。それが愛であり、言葉で語れるものではない。それほどに深いと水上氏は言う。にもかかわらず、世間では愛という言葉を軽々しく扱うため、「深みが抹殺される」と水上氏は嘆いた。その嘆きは今、狂おしいほどに深まっている。▼痛ましく、そしておぞましい子ども虐待が相次いでいる。それは、男女間の愛が情痴と区別がつかなくなるほどに、愛という言葉がうすっぺらになり、深みも重みもすっかり失われた現代の投影であろう。 (Y)