戦地への手紙

2010.08.11
丹波春秋

 俳人の宇多喜代子さんがニューヨーク郊外の従弟の家に招かれ、近所の家のパーティーに出た。たまたま同席した元ジャズ歌手の女性から「日本にこれを持ち帰ってもらうのは、あなたこそふさわしそう」と手渡されたのは、古びた紙屑のような手紙の束。▼太平洋戦争の激戦地、硫黄島を彼女が戦後、米軍の慰問に訪れた際、洞窟の中で見つけた日本兵士の遺品だった。そのまま立ち去ろうとしたが、何だか声をかけられるようで、洞窟を出てからまた引き返し、ポケットに詰め込んだという。▼「宮崎県椎葉村」とのみ書いた妻からの20数通の手紙と葉書は、宇多さんの手で帰郷するが、宛先の「尾前邦吉」さんの手がかりは、同姓ばかりでなかなかつかめない。▼3年経った「戦後50年」、宇多さんが戦争と俳句への思いを「ひとたばの手紙から」という本に綴った数日後、椎葉村出身の俳友から「熊本の90歳の母に聞いてみる」との電話。かくて実家は突き止められ、手紙はようやく遺児の手に。▼「片山桃史(丹波市出身)の句集をまとめた時と同様、あの手紙の束と共に初めて、遺骨が遺族のもとに戻った気がした」。―戦場から900通送り続けた画家、前田美千雄の絵手紙展「愛する妻へ」(伊丹市・柿衞文庫)の記念講演での宇多さんの話。目に見えぬ糸は存在するものだ。(E)

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