藤井節太郎

2010.09.01
丹波春秋

 播磨の歴史民俗誌「S-ala」に篠山出身の大安榮晃(しげみつ)さんが、戦前に柏原町長や県会議員を務めた藤井節太郎のことを「兵庫の漱石」という連載記事に書いている。▼多可郡黒田庄村に住む27歳の藤井から「美文・手本文例証手引本」という自筆原稿を送りつけ感想を求められた夏目漱石は、「かようにページ多きものを書かれた根気に敬服するが、この不景気では出版は難しかろう」と返信。▼藤井はお礼に鮎を送るが、漱石は胃病で入院中。「ありがたいが、陽気のため箱の中で腐ったようだ。どのみち小生は食べられないので気にしないでほしい」。これに対して藤井「今度は腐らないのを送りたいが、あいにく不漁。そこで先日見つけたホトトギスの卵を、人工孵化が成功すれば珍しいのでまた送ります」。―漱石は一面識もない田舎青年のことを詳しく日記に書くほどに、好感していたらしい。▼藤井はやがて柏原に移って新聞販売業を営み、中央とも強力なパイプのもと、政界に進出する。一方では俳人松瀬青々に師事して墨跡を残し、また考古学でも慧眼を利かせた。▼昭和31年に死去した逸材に、かつて対立する政党同士で戦った小田嘉市郎(丹波新聞社主=当時)が「その間柄であるからこその辛口の、かつ愛惜の念のこもった良い追悼文」(大安氏)を捧げた。(E)

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