「王地山焼」に隆盛の兆し 関東圏から注文殺到で 昭和に復活の「藩窯」

2024.07.11
地域歴史注目観光

関東圏で好評を博している王地山焼=兵庫県丹波篠山市河原町で

兵庫県丹波篠山市にあり、江戸時代に篠山藩主が築いた藩窯で、昭和に復活した陶芸「王地山焼」に隆盛の兆しが見えている。2023年度の売上は前年度比120%超を達成。新たな取引先も続々と生まれており、大口の注文も増加している。鍵になったのは、これまでほぼ進出していなかった関東圏での高い評価。美しく洗練された意匠と使い勝手の良さが関東の人々の心に〝刺さっている〟。王地山陶器所(同市河原町)を指定管理する一般社団法人・ウイズささやまは、「デカンショ節は関東で人気を博して全国に広がった。王地山焼もデカンショ節のように評価の〝逆輸入〟をして、地元の人にこそ、その価値を見直してもらえたら」と話す。

これまでの年間売り上げはおおむね400―500万円台後半だったが、昨年度は724万円。対前年度比134万円の増で、目標にしていた630万円を超えた。

これまでは主に丹波篠山市内の観光施設や関西を中心に販売してきた。売り上げ増のきっかけは一昨年度、東京に本社を置く、日本のモノづくりを発信している企業と取引を始め、同社とのつながりで大規模な見本市に出展したこと。美しい青磁と高い技術を要する型押し成形の王地山焼を見たバイヤーがその魅力に太鼓判を押し、注文が殺到するようになった。

以来、東京で扱う店舗が増えているほか、今夏に京都市で開業が予定され、世界的な建築家の隈研吾さんの事務所がデザイン監修を手がけるホテル「バンヤンツリー・東山 京都」にも小皿を卸すなど大口の取引が増加。京阪神や丹波篠山市内でも王地山焼を取り入れる飲食店が出ている。

王地山焼の存在を知った関東圏の人が「どうしても実物を見たい」と王地山陶器所まで足を運んで購入するケースもあったという。

外国人観光客にも評判は上々で、伝統的な意匠の亀や富士山をモチーフにした商品が、日本の土産として売れている。

同法人は、「東京での評価に加え、コロナ禍を機に食卓に彩を求める人が増える中、丹波焼に興味を抱く人が増えた流れで、王地山焼も〝発見〟してもらえたよう。さまざまな人や会社とのつながりが、さらなるつながりを呼んでいる」とする。

32年にわたり王地山焼に明かりをともし続ける陶工の竹内保史さん(51)は、「関東では青磁が少ないことも好評の理由かも。陶器所に来られる人は倍近くになっている。忙しいけれど、物が動くのは良いこと」と話す。

伝統的な技術を継承し続けている陶工の竹内さん

ただ、現在、陶工は竹内さんと弟子1人のみで、マンパワーの少なさからこれ以上の生産量は見込めない。また、陶器所が技術や伝統の継承に主眼を置いていることから、竹内さんは、「たくさん作ると質が悪くなるので量は今が限界。忙し過ぎると技術を伝える時間もなくなる。『ほどほど』が良い」と苦笑する。

「そんな竹内さんの人間性にひかれる人も多い。どんな料理を載せても見栄えが良く、割れにくいところも王地山焼の魅力」とほほ笑む同法人の大西由喜さん(44)は、「関東のバイヤーから、『王地山焼は安過ぎる』と指摘を受けたこともある。外に卸す商品は単価を上げるなどし、王地山焼を守ることにつなげたい」と話す。

学芸員でもある大西さんはさらに、「王地山焼は大名間のプレゼントとして使われた側面もあったが、一時期、民間に払い下げられ、地元の人が冠婚葬祭の時などに贈り合っていたため、古い家の蔵などに残っているケースがある。ぜひ、外からの評価が高まっている地元の焼き物の価値を知ってもらえたらうれしい」と呼びかけている。

王地山焼 江戸時代末期の文政年間(1818―30)、篠山藩主だった青山忠裕が築いた藩窯。三田藩で青磁の焼成に成功した京都の名工・欽古堂亀祐(きんこどうかめすけ)を招いて指導させた。青磁など中国風の磁器が多く、手彫りの土型で素地を型押し成形することなどが特徴。明治2年(1869)に廃窯されるも、昭和63年(1988)に観光の目玉として旧篠山町立の施設として復興された。

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