「学校に行けるだけで幸せなんだよ」「ご飯を食べられるだけで幸せなんだよ」。テレビではそんなふうに説くが、とてもそれらが幸せだと思えなかった女子中学生が、沖縄の修学旅行で戦争の傷跡に接し、幸せについての見方が変わった。▼「何の変哲もない日々を過ごせていることは、この上なくすばらしく、幸せなことなのだと今になって思いました」―。篠山市内の中学校・特別支援学校の弁論大会で優秀賞に選ばれた今田中3年、澤瀉萌さんの「幸せの意味」に、以上のような内容が書かれていた(本紙篠山版に掲載)。▼この作品を読み、「春は枝頭(しとう)にあってすでに十分」という一文を思い出した。春を探しに、高山まで踏破するなどあちらこちらを訪ね回ったが、見つからない。家に帰って梅の小枝をつまんで香りをかぐと、何とそこに春が来ていたという漢詩だ。▼身近なところにある春。それを「幸せ」に置き換えて解釈することも可能だ。幸せは遠くにあるのではなく、日常の何気ない生活の中にこそひそんでいるという教えと読み取れる。▼といっても、貧しい暮らしの中に幸せがあるとは思えないという人に小林一茶の一句を捧げよう。「うつくしや障子の穴の天の川」。もっとも、ここまでくると、よほど人間ができていると言えるのだが。(Y)