大河ドラマが終わって寂しい。これからという時、実に残念だったろうに、あっけらかんと死を受け入れた竜馬。福山雅治は「僕の身体を通して竜馬がメッセージを伝えた」と話した。▼もし生き延びていたならば、彼は何をしたろう。「ときに革命は片手間の仕事であった」(司馬遼太郎)から、船で七つの海に乗り出していたのは間違いない。彼の感化を受けた岩崎弥太郎でさえ、あれだけのことを成したのだから、竜馬ならもっともっとスケールの大きい、例えば上海辺りを拠点に世界の海運王になっていたかも知れない。▼彼の師、勝海舟は江戸城明け渡しの談判相手、西郷隆盛ばかりを「大人物」と盛んに評しているが、藩意識、つまり古い規範、仕組みにとらわれないという点で、竜馬は一まわりも二まわりも大きかったと言える。▼大久保利通が東京遷都を企て江戸の失業問題を解決し(勝海舟「氷川清話」)、江戸を無血で救った西郷は薩摩士族らに押し立てられて西南戦争に走った。竜馬なら薩摩のみならず諸藩の失業者らを自分の海外事業に注ぎ込んで大いに活用しただろう。▼もっと多くの人材が世界を舞台に国際視野で仕事をしていれば、日本国家の列強への伍し方もいささか違ったものとなり、その後の日本の進路も変わっていたのではないか。(E)