ここは時が止まっているのか―。かつて陶磁器やタイルなどの原料となる「ろう石」を採掘した兵庫県丹波市山南町の「金屋鉱山跡」には、往時に活躍したと考えられるブルドーザー2台とトラック1台が、さび付いた状態でたたずんでいる。
もみじの名所としても知られる石龕寺(同町岩屋)付近から登山道を行くと、1時間弱で到着。突然、開けた場所に出たかと思うと、見上げるほど高い岸壁に圧倒される。さび付いた車両は、だだっ広い採石場の隅に身を寄せるように止まっている。
近くに「金屋鉱山跡」と記された看板が立つ。「山南町久下地区 歴史散歩」(久下自治振興会発行)に「金屋蠟石鉱山跡」が紹介されており、1919年(大正8)に採掘が始まったとある。
59年(昭和34)5月10日付の丹波新聞に、「脚光あびる山南の『ロウ石』」との見出しがついた記事が載っている。生活文化の向上と相まって、ろう石の需要が高まっていると記され、記事で紹介されている金屋鉱山は「岩屋から金屋にまたがる」とある。
さらには「採石は現場からトロッコに積んで採石場に運び、更に数百米の索道が搬出口まで下らす。そこからは馬車で5キロの山道を谷川駅まで運搬する」という。
「山南町久下地区 歴史散歩」には、「ブルドーザーが分解されヘリコプターで山へ持ち上げられ、2トンダンプも上げられ」との記述もある。「昭和40年代には山の頂上がほとんど無くなり運動会ができる位の広場で2トンダンプが忙しそうに行き来していた」と、往時の様子を紹介している。だが、87年(昭和62)、韓国から安い材料が輸入され、採算が取れなくなったため廃業したとある。
地元の男性(76)は子どもの頃、鉱山からろう石が運び下ろされる様子を見た記憶があるという。「かつては馬車と索道が主だった」と言い、やがてワイヤーで編まれた〝もっこ〟のような運搬道具にろう石を詰め、索道に引っかけて下ろしていたという。「そこからダンプに載せ、久下村駅に運んでいた」と話す。鉱山にも登って遊んだと言い、「何度も発破をかけるのを見た」と懐かしむ。
うなりをあげるように轟音を響かせ、働く人の手足となった3台。作業員が汗を流し、岩肌を削る大きな音が響いていただろう当時とは打って変わり、聞こえるのは木立をぬって来る風の音と、鳥のさえずりのみ。今は静かな環境で、深い眠りについている。