岩手の被災地に行った際、花巻空港で乗ったタクシーの運転手さんから「津波の翌日から沿岸一帯を走り、惨状を身にしみて感じました」と、こんな話を聞いた。▼ある化粧品会社が釜石市に直営店を出すことになり、代理店へのあいさつ回りのため3月11日、東京本社から派遣された担当者が午後2時過ぎ、「これから大槌町に向かいます」と携帯で連絡したまま不明に。▼本社社員が大勢出動し、タクシー4台で10日間、探し回ったが、ついに見つからず、業を煮やしてやって来た社長も、これ以上は無理とあきらめたという。▼上田三四二は「自分に残された人生の時間は滝口までの河の流れのようなもの」と想定している(「この世この生」=新潮文庫)。必ずあるその滝口がどこで待ち受けているのか、誰しも皆目わからないが、不治の病の再発を恐れた三四二の場合はある程度の見当がつき、優れた考察をすることも出来た。▼化粧品会社の人は、滝口について日頃、いかほど認識していたかは知る由もないが、突然そこにあったことは間違いない。三四二と比べどちらが幸運、不運だったかという問題でもなかろう。事故に遭う「確率」、癌になる「確率」等々の数字が所詮無意味ということだけは確かである。当人にとってはゼロか百か、どちらかでしかないのだから。(E)