夏休みになると思い出す中学校時代の宿題がある。ドクダミ採取だ。ドクダミを取って来て、乾燥させる。乾燥させたあとの重さが、確か最低でも1キロでなければならず、結構な量を取った。ドクダミがたくさん生えている場所があると聞くと、少々遠くても、自転車に乗って出かけた。▼薬草として重宝されるドクダミ。全校生徒が採取したドクダミは、生徒会活動の貴重な収入源だった。夏の日差しのなか、独特の臭気があるドクダミをせっせと採取したことを懐かしく思い出す。▼夏休み、中学生が野山に繰り出してドクダミを集める。それは、自然に包まれたなかに、私たちの暮らしがあることの証しであろう。田舎では、暮らしと自然は対立することなく、調和し溶け合っている。▼山村に暮らす哲学者、内山節氏は、村という言葉は人間の社会だけをさすのではないと言う。「『わが村』とは、『わが人間たちの村』を意味しているのではなく、『わが自然と人間の村』のことであった」(『里という思想』)。村とは、自然の中で、自然と対話しながら人間の営みが織り成される世界ということだろう。▼ただ、内山氏が「わが自然と人間の村のことであった」と、過去形にしているのが気になる。そういえば、母校の生徒は今、ドクダミを採取していないようだ。(Y)