1990年、ある出版社の企画で中国への「徐福ツアー」に参加した。秦の始皇帝の命を受け、不老不死の薬を求め日本の海へ大船団を率いて出航した伝説の主人公。その生地という山東省・徐福村を訪ね、最終日は連雲港市から450キロ南の上海に飛ぶ旅程だった。しかしその朝、飛行機は何時間待っても来ない。▼添乗員は共産主義青年団が経営する旅行社員で、日本にも留学したエリート。行く先々で地方幹部が直立して迎えてくれた。ようやく代替機が来ることになったが、彼の言うには「1950年代に周恩来首相が愛用していたプロペラ機。やめた方がいいでしょう」。▼そこで午後7時にバスで出発。高速どころか、ろくに舗装もされていない道をがたがた揺られ、揚子江をフェリーで渡って上海に着いたのは、翌日正午近くだった。▼改革開放政策が始まったばかりの当時、北京の繁華街でも夜は暗く、ネオンサインの灯がたった1カ所。キャンセルした周恩来機が墜落したとは聞かないが、今頃はとっくに博物館に収まっていることだろう。▼わずか20年で中国は日本をはるかに凌ぐ高速鉄道網を敷き、地方都市の連雲港からでも上海へ新幹線で行けるように。相当の地位に出世したと思われるあの青年党員は、今回の事故をどのように見ているだろうか。(E)