盆休み、淡路の健康道場に籠り、1日1300キロカロリーの野菜食を頂きながら、「往生の極意」(山折哲雄著)を読んだ。▼「断食」、「焼身」、「隠れ」、「念仏」、「惚け」等、様々な往生の仕方があり、西行ほか藤井日達、一休、一遍に良寛ら、それぞれ見事に実践した例もあるそうだが、高僧の足元にも及ばない凡人には、「極意」を伝授されようにもどれもこれも、楽そうでない。▼その中で妙に魅かれるのが、西行の最期。「願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃」の歌通りに逝った彼は、実は断食往生を試みたのだと、山折氏は言う。言わば、宗教的自死。▼氏自身、若い頃に暴飲がたたり強制的に絶食させられた病院で、そのうち飢餓感が消え、神秘的な境地になった体験を持つ。そして「食糧やエネルギー危機が究極まで進むと早晩、人を食うか、自分を食うかという選択を迫られる。太古の人々が飢饉の際、自分を食べる選択をしたことの可能性、汎用性を吟味する段階に我々は来ているのでは」とさえ言い切る。▼さりながら、西行の往生に春秋子同様に憧れる山折氏といえども、自筆の「私の死亡記事」(文藝春秋社刊)には、「果たしてその通りの最期を迎えられたかどうか、死後1年が経ち定かでない」と記している。ああ、死とはかくも難問か。(E)