翻弄されるテヘラン日本人学校 「子が戦争で不遇な立場」 任地の校長心砕く 置かれた場所で咲く㊤

2026.03.15
丹波市事件地域注目

1月14日に開いた伝統の「百人一首大会」。大会後に派遣教員の全員帰国指示が文科省から届いた(テヘラン日本人学校のホームページから)

用意しておいた卒業証書を「僕が戻って来れなかったら、大使館の公使に頼んで渡してもらって」と、現地スタッフに託して帰国した。経済状況悪化によるイラン国内デモの拡大を受けて帰国した後に始まった戦争で、テヘランに戻ることはかなわなくなった。元兵庫県丹波市立中央小校長の西田隆之さん(61)=同市春日町=が校長を務めるテヘラン日本人学校は、きょう15日に都内で「修了式」を開く。西田校長は「子が戦争で不遇な立場に追いやられている。君たちには日本にも、テヘランの日本人コミュニティーにも居場所があると感じさせて送り出したい」と、門出を温かいものにしようと、同僚、関係者と知恵を寄せ合っている。

昨年6月、イスラエルとの「12日間戦争」で帰国。11月末に再渡航したが1カ月半で帰国。帰国は3年任期で4度目。4度目の再渡航はならず日本で年度末と、任期満了を迎えることになった。

数人が卒業する。卒業証書は渡せない。修了証を手渡す。卒業する子は日本滞在中、一時的に日本の学校に転入しており、卒業証書はその学校長名で授与される。

式には、卒業生、在校生、保護者、教員、私学の理事会に相当する学校運営委員会の委員(商社など企業の現地駐在員ら)、元在籍者と家族、元担任も駆けつける。「現地の日本人コミュニティーは200人程度。そのほとんどが退避している。子の活動を支えてくださった方々も出席していただける」。“近所のおじちゃん、おばちゃん”も見守る式になる。

政情に翻弄される中、子どもを温かく送り出そうと知恵をしぼる西田校長=兵庫県丹波市春日町で

昨年12月9日、5カ月ぶりに在籍者と全教員が顔を合わせ、授業を再開した。地上3階、地下1階の校舎は現地スタッフが保守し、何事もなく使えた。まちは混乱なく、自宅マンションのテレビが急な通電で壊れていた以外の支障はなかった。

帰国していた間、地元の学校に転校する子もいれば、日本人学校で学び続ける子もあり、オンライン授業を続けた。

できなかった学校行事を取り戻そうと、学校再開から冬休みまでの約2週間の間に、オンラインで準備した学習発表会を2年ぶりに開催。学年発表、音楽発表、ペルシャ語の発表ができた。

昨年12月28日(現地時間)にテヘランで始まった、インフレによる物価高騰への不満を背景とした抗議行動が各地に拡大、当局の抗議活動の取り締まりなどで逮捕者や死傷者が出た。国営放送は「イスラエルやアメリカの影響で暴徒化した民衆を鎮圧した」などと報じていた。

自宅から2キロほど離れた公園が、最も近く感じたデモ会場。見に行ってはいないが、シュプレヒコールが聞こえた。会場に向かう人が自宅ベランダから見えた。女性の声が響いていた。3年前の赴任時、1ドル50万リアルが、180万リアル。市民は食品の高騰に苦しんでいた。

「いつどこでデモをするか事前にアナウンスがある。大使館や現地スタッフの情報に神経をとがらせる必要はあったものの、避けることはできた。夜に行われることが多く、保護者と相談の上、巻き込まれる心配はないと判断し、午前中に短縮し、授業を続けた」

1月14日に学校の伝統、「百人一首大会」を開催。小学4年生以下と、6年生以上の高学年の部で競い、終了後は保護者が作るぜんざいで温まった。大会が終わった後、大使館経由で文部科学省から帰国指示があった。インターネットは遮断が始まっていた。「デモは回避しやすい」と帰国を拒んだが、「帰りの飛行機を予約する」と告げられた。

この時点で外務省の渡航危険レベルは「3(渡航中止勧告)」。同僚、保護者に伝え、児童生徒に「申し訳ないが先に帰ることになった。ネットが復活したらサポートする」と別れの言葉を言い、15日のテヘラン空港発、ドバイ経由の飛行機で、教え子を残すことに後ろめたさを感じつつ帰国した。

翌16日に「レベル4(退避勧告)」になり、子どもたちも帰国。ほっとすると同時にイランの混乱が短期間で収束し難い現実を受け入れざるを得なかった。テヘランで卒業式を開くことを第一に、次善策として東京開催に向けて直ちに準備に取りかかった。日本人学校に通う子や保護者を支援する海外子女教育振興財団(港区)の会場を押さえることができた。

2月28日のアメリカとイスラエルによる攻撃で戦争が勃発、テヘランに戻れないことが確定。それは式の東京開催決定と、自身の教師生活の最後を任地で迎えられないことを意味していた。=つづく=

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