所有欲

2013.02.02
丹波春秋

 ユダヤ民族の言語、ヘブライ語には「所有する」という動詞がないそうだ(ひろさちや氏『世逃げのすすめ』)。というのは、この宇宙に存在するあらゆるものは神の所有物であり、人間には所有権がないと考えるからだ。▼「所有する」という動詞がない。信じがたい思いを持つが、実際にそんな人たちがこの世界にいることを、本紙7面のコラム「ラオス式知恵袋」が教えてくれる。家が火事で燃え、昨日着ていた服しか残らなくても、笑ってみせる。物に対する執着心、所有欲というのがないのだろう。▼とはいえ、我が国でも、貪欲を戒める道徳はあった。貨幣を多く所有すれば、失うことを恐れ、守銭奴になりかねない。「所有する者は所有そのものの奴隷になる」(鷲田清一氏『死なないでいる理由』)として、所有しないことが幸福への道とされた。▼しかし、今では所有欲は社会的にも保障され、私的所有の権利は、自由や平等などと並ぶ人間の基本的な権利とされている。それは、資本主義が発展した背景のひとつにもなっている。▼そうした社会の申し子として、私たちは、人には物を所有したいという欲求があるのは当然のこととし、所有物を失うことに抵抗を覚える。しかし、火事で物的財産をなくしても笑える人がいる。コラム筆者の前川さん同様、「強い」と思う。(Y)

 

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