大阪「府」と大阪「市」

2011.12.08
丹波春秋

 昭和50年代初め、大阪市の人口が横浜市に抜かれた。「西日本の中枢都市」の地盤沈下はずっと前から言われていたが、これで決定的となった。その後も東京圏と大阪圏の格差は広がるばかりで、今や大阪は「数ある地方中核都市の一つ」になっている。▼その頃、前の新聞社で大阪市や大阪府を担当し、「府市協調」論をよく書いたが、当事者からはほとんど問題にされなかった。ことに市幹部には「府、何するものぞ」という意識が強く「地下鉄、上下水道、住宅、どれをとってもこっちが上。関電の筆頭株主。大学だって旧制以来の伝統校」と、よく聞かされた。▼職員組合が強く、市長選挙ではがっちりと現職を支えていた。「大阪都」構想を掲げる橋下さんが知事の座を子分に明け渡して市に乗り込むのは、多分今も続くその辺の空気を読んでのことだろう。▼二重行政の無駄を省くことは思い切って進めてほしいが、但し、東京と対抗しようと「東京都」の仕組を持ち込んでもうまくはいかないだろう。▼ともあれ、大阪の選挙が全国に話題を呼んだのは、橋下さんの功績ではある。もっともっと議論を深め、慎重に進めなければならないが、地方行政の仕組みと可能性を国民が理解し、ひいては国の権限を自治体に抜本的に移譲することにつながってほしい。(E)

 

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