「生きている 生きてゆく―ビッグパレットふくしま避難所記」

2011.12.28
丹波春秋

 「家に帰りたいわね。富岡、よいところなのよ…東京電力、昔からいろんなイベントをやって地域貢献してくれてたけど、原発のことで裏切られた気がするわ」▼「犬を自宅に置いてきたんだ。よく分かっている犬で、車の音で家族を見分け、角でちゃんと待っているんだ」「娘とその旦那が東京電力に勤めている。今までが良すぎたんだねぇ。大きな会社で、福利厚生も本当に良かった。…今は大変よ。娘は呼び出されて、また働いている。他の人には、言いにくいわよねぇ。…気を使ってしまうわ」▼知人の福島の印刷・出版社長から「生きている 生きてゆく―ビッグパレットふくしま避難所記」という写真集(刊行委員会発行)が送られてきた。郡山市のこのコンベンション施設には、福島第一原発直近の富岡町、川内村などから最多時2500人が着の身着のままで避難した。▼混乱の極みの中、県、市町村職員、ボランティアらの献身的な働きで、やがて「足湯」サービスが始まり、喫茶室が出来、FM局が開局し、避難者による「自治」が自然に出来上がっていった。冒頭は足湯に浸りながら人々が漏らした言葉。▼今は皆、仮設住宅などに移り、避難所は閉じられた。しかし政府の「原発事故収束」宣言が出されてもなお、いつ元の家に戻れるのか、全く分からない。(E)

 

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