山岡鉄舟の書

2012.01.21
丹波春秋

 篠山の市街地にある料理旅館「池富」に、山岡鉄舟の書が伝わっていると、弊紙元日号に載っていた。鉄舟は、勝海舟と西郷隆盛のトップ会談を実現させた、江戸無血開城の立役者。剣術に秀でた人物としても知られるが、書も有名だ。しかも、その数がすごい。▼「今までに書かれた墨跡(ぼくせき)はどれほどか」と聞かれた鉄舟は、「まだ3500万枚にはなるまいね」と答えたという逸話もある。3500万というのは当時の日本の人口。国民1人に1枚も行き渡っていないというジョークだ。▼鉄舟は、「大蔵経(だいぞうきょう)」の筆写に挑んだ。「百歳まで生きたとしても無理」と忠告する門弟すらいたが、鉄舟は「ただ毎日1枚書くだけ。なんの造作もない」と、休むことなく夜遅くまで筆写し、見事に大蔵経全126巻を写した。▼毎日書く。1日も欠かさない。これは、言うは易く行うは難しで、なかなかできるものではない。ついつい怠け心が起きるものだ。鉄舟はよほど根気強かったのだろう。▼「人は才能の前には頭を下げないが、根気の前には頭を下げる」とは、夏目漱石の言葉。鉄舟は書き過ぎたためか、幕末の三舟と並び称される勝海舟、高橋泥舟(でいしゅう)と比べて書の値段が少し安いそうだが、頭抜けた根気強さには頭が下がる。(Y)

 

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