喜望峰

2012.01.26
丹波春秋

 昨年11月に南アフリカ南端の喜望峰に行った時、バルトロメウ・ディアスという探検家のことを知った。ヨーロッパ人で初めて同地に到達した人。ポルトガル王の命を受けリスボンを出港したのは、有名なヴァスコ・ダ・ガマより10年前の1487年。▼アフリカ大陸西岸に沿って南下し、南緯29度付近で嵐に遭って13日間漂流。陸から離れてしまい東進するが近づかず、北上すると西側に現れたので、南端(35度)を通り過ぎていたことに気づいた。▼このまま進めば確かにインドまで行けるとわかったのだが、乗組員につのった不安、不満が抑えきれなくなって引き返すことに。帰路、喜望峰を発見した後、故国に戻った。王への報告では、苦しいばかりだったので「嵐の岬」と呼んだが、王は東方への道を開く「喜望峰」と改称させたという。▼1497年のガマのインド航海にも水先案内として乗り込み、ガマに従順に仕えた。しかし喜望峰に近い丘の上にそびえるディアスの記念碑は青空に白く映え、海岸部にあるガマのよりずっと大きく見えた。この地ではディアスこそが先駆者であると、後の人たちが示そうとしたのだろうか。▼昨2011年は多くの人々に苦難をもたらした。しかしまた見方を変えれば、今年からの希望につなげていけるかもしれない。そう願う。(E)

 

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