田捨女

2012.09.06
丹波春秋

 「雪の朝二の字二の字の下駄のあと」田捨女作と言われるこの句は自筆句集にはない。彼女の作ではなく、誰かが捨女に仮託して作ったのではと、俳人坪内稔典雅氏が「女たちの俳句史」(雑誌「俳句」連載)に書いている。▼千代女の「起きてみつ寝てみつ蚊帳の広さかな」も仮託された句。つまり、この作者ならこんな句を作ってもおかしくない、と人々が納得して決めたのだという。ではなぜ捨女が「二の字」の句にふさわしいのか。それは自筆句集の「いつかいつかいつかと待ちしけふの月」も示すように、「彼女が頓智の人だったから」。坪内氏は北村季吟門の作品を集めた「続山井」に、捨女の句が芭蕉の28を上回る38句も出ており、「この本の花形作家だった」とも指摘する。▼そもそも「俳諧の連歌」として流行し始めた初期の俳句は、連歌の雅を崩し、酒席の気軽な乱れを反映した詩歌だった。「おそれながらも入れてこそみれ」と仕掛けられ「足洗ふたらひの水に夜半の月」と受けて、「エヘヘ」と座が盛り上がる。婦女子にはいささか品を欠く文芸だったのだ。▼季吟が逗留するような一家に育ったとは言え、捨女はそのような男の時代にあって「女の俳句史」を切り開く才を備えていた。すべて坪内氏からの受け売りながら、9日の捨女忌に集まるご婦人方にも知ってほしい。(E)

 

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