弁護士 藤原精吾さん

2003.03.06
たんばのひと

人権擁護活動を柱に
弁護士 藤原精吾さん  (神戸市在住)
 
(ふじわら・せいご) 1941年 (昭和16年) 神戸市生まれ。 大阪大法学部卒。 市立尼崎高校筋ジストロフィー入学拒否取消し請求事件や労働災害の弁護も多数。
 
 「生まれは神戸ですが、 丹波はふるさとのようです」 と話す。 山南町出身の祖父が明治時代の中ごろ、神戸に出て洋家具店を営み、 神戸の洋家具の草分けだった。  弁護士を志したのは、 大学3年のとき。 4年生で初挑戦したが、 歯が立たず。 留年し再度チャレンジして、合格した。「夏休みの2カ月間、 青垣町の叔父の家に下宿して勉強したのが良かった。 丹波には恩義を感じています」 と笑みを浮かべる。
 同町社会福祉協議会には、 無料法律相談に長年通った。 「昭和50年代にはサラ金問題の相談が多く、 社協が出すサラ金対策のテキストを作るお手伝いもしました」 と当時を振り返る。 これまで一番印象に残っている裁判は、 「堀木訴訟」。 弁護士になって3年目。 障害福祉年金を受給している堀木文子さんという盲目の女性が児童扶養手当を申請したが、 二重の受給は認められなかった。 「父親が盲目で、 母親が健常の場合には出ている。 なぜ駄目なのか」 と相談を受けた。
 県知事を相手取り、 「併給禁止規定は法の下の平等、 生存権を保証する憲法に違反する」 と裁判に持ちこんだ。 神戸地裁で勝訴したものの大阪高裁で敗訴、 上告した最高裁では大法廷に立った。 「社会保障制度は国の裁量の範囲という判決に対し、 『納得できない』 という堀木さんの一言が今も耳に残ります。 裁判をきっかけに、 制度が改善されました。 この訴訟が私の弁護士活動の原点になった」
 日本弁護士連合会副会長、 同人権擁護委員長などを経験。 目下の活動の主眼は、 国会に提出中の人権擁護法案への対応。「警察や入管 (入国管理局) 職員の虐待を調査し、 救済活動をするためには、 法務省から独立すべき。 現法案に盛り込まれた人権救済機関では不備」 という立場を主張。 講演会やシンポジウムで訴える。 「オーストラリアでは、 牛乳パックに人権救済機関の場所が明記されています。 身近な場所に救済機関が必要」 と力説。
 「母親のふるさと氷上町には小学生のころよく行き、 従兄弟 (いとこ) たちと遊び回った」 と少年時代を回想する。

(臼井 学)

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