柏原側からの登り口が整備されたと聞き、先日、鬼の架け橋に登った。

2006.12.19
丹波春秋

柏原側からの登り口が整備されたと聞き、先日、鬼の架け橋に登った。巨岩が橋のように架かっている景観は圧巻で、なぜこのような形ができたのか、凡人の知恵の及ぶところではない。鬼の架け橋とは、よくぞ名づけたものだ。▼怪力で非情。これが一般的な鬼のイメージだが、鬼はそれとは正反対の顔も持っている。来年のことを言うと、笑う鬼にはユーモアを解する力があるし、目に涙を浮かべることだってある。18歳の年頃になれば、それなりに美しくなる。恐ろしい反面、かわいげもある。▼鬼の架け橋の伝説に登場する鬼もそうだ。「京都で女や子どもをさらった鬼が大江山に帰るために岩を架けた」という伝説は恐ろしい鬼だが、「天人と友達になりたいと願った鬼が架けた」は、心やさしい鬼だ。▼正反対の顔を持つ鬼に、作家の西村滋さんの話を思い出した。西村さんは子ども時代、母親を「鬼としか思えなかった」と言う。罵声を浴びせ、コップなどを手当たり次第に投げつけたからだ。▼それには訳があった。結核に冒されていた母親は自分の死期を悟っていた。憎らしい母親なら死んでも悲しまないだろうし、夫が再婚した場合、新しい母親に可愛がってもらうためにも、憎まれた方がいいと考えたのだ。我が子を思い、心を鬼にした母親。そんな鬼の愛は深い。(Y)

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