「桜の花は真っ盛りを、月は曇りのない満月をのみ見るものだろうか」

2006.12.27
丹波春秋

「桜の花は真っ盛りを、月は曇りのない満月をのみ見るものだろうか」という意味の有名な言葉、「花は盛りに、月は隈(くま)なきをのみ、見るものかは」で始まる「徒然草」の第137段に、片田舎の人が登場する。片田舎とは、京都周辺の田舎のこと。丹波地方も片田舎に入るだろう。▼兼好は、「片田舎の人は桜の楽しみ方がしつこい」という。桜の木の下に体をねじるようにしてやたらに近づく。わき目もせずにじっと桜を見つめ、酒を飲み、連歌をして大騒ぎし、しまいには桜の枝を折り取ってしまう。連歌を除くと、当世の花見風景そのものだ。▼兼好は、「もののあわれ」を解さないとして片田舎の人をくさしているが、豪華けんらんな桜の下でのひとときの酒宴ぐらい大目に見てよ、と言いたくなる。とはいえ、兼好の言い分ももっともで、桜は満開だけをめでるものではない。▼今にも咲きそうな桜の梢、花が散った後の様子も、見どころがある。この137段で兼好は世の無常を語っているように、咲きそうな梢は、生まれ出ずる生であり、満開は生命の謳歌、散り行く桜は、生の凋落と読み取れる。生の流転と桜を重ね合わせると、味わいが増す。▼桜も峠を越えた。花が散った桜は見るべき価値がないとする人を、兼好は「愚かな人」ととどめを刺している。(Y)

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