河合雅雄の懐の深さ

2007.02.01
未―コラム記者ノート

 篠山市の名誉市民になられた河合雅雄氏に、個人的な思い出がある。3年前の秋のことだ。翌年1月1日の正月号に河合氏を囲む計3人の座談会記事を企画し、その座談会を柏原町の丹波の森公苑で開いた。 座談会を始めてまもなく、河合氏に一本の電話が入った。電話で話す河合氏の表情がだんだんと険しくなり、ただならぬ用件であることが察せられた。受話器を置いたあと、河合氏は「上の兄がどうも危ないようです」と話された。生死の境にあるというのだ。 しかし、ここで河合氏がこの場を去り座談会が中止となると、スケジュールがびっしり詰まっている人だけに、後日に座談会が開ける保証はない。少なからずあせった。こちらのそんな気持ちを推し量られたのか、「座談会を続けましょう」とおっしゃってくれた。 そのあと河合氏は、自然体験がいかに子どもを育てるかを雄弁に語られた。兄上の様子をさぞ気にされていただろうが、そんな姿を見せまいとされた。座談会のほかの出席者や私どもに気を遣われたのだろう。申し訳なく思うと同時に、河合氏の心配り、懐の深さにふれたひとこまとして思い出に残っている。 霊長類や自然に関する河合氏の話と著書から学んだことは少なくないが、人柄に出会えたあの日の出来事からも教えられることがあった。 (荻野祐一)

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