日本人の美意識

2007.05.22
丹波春秋

 芥川龍之介に「手巾(はんけち)」という短編小説がある。大学生の息子を病気で亡くした母親が、息子の先生を訪ね、死を報告する場面がこの小説の中心だ。初七日を終えたばかりなのに、母親は口角に微笑さえ浮かべ、淡々と息子の死を伝える。▼先生はそれが不思議でならなかったが、ある拍子にテーブルの下にかがみこんだとき、その疑問が解けた。母親は、膝の上に置いた手巾を両手で裂かんばかりに握っていた。この母親は「顔でこそ笑っていたが、実はさっきから、全身で泣いていたのである」。▼悲しみをストレートに表現しない。人目をはばかることなく泣き叫ぶような振る舞いを潔しとせず、ぐっとこらえることを礼節として尊ぶ。こうした自己抑制は、日本人の美意識とされてきた。▼自己抑制の美学。これは武士道に通じる。「手巾」に登場する先生は、母親のこの姿を「日本の女の武士道だと賞賛した」というくだりがある。▼「武士道」といえば、新渡戸稲造の著書『武士道』。同書に「薔薇に対するヨーロッパ人の讃美を、我々は分かつことを得ない」とある。華美なる色彩と濃厚なる香気を持つバラ。自己抑制とは正反対の自己主張が日本人の美意識にそぐわないというのだ。バラの季節。バラの美しさに見とれつつ、この2つの作品を思い起こすと複雑な気持ちになる。 (Y)

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