多紀郷友会の会誌「郷友」編集長を務める山口博美さんが、ささやま市民文化講座で「篠山近代、軍人の系譜」のテーマで講演された。 山口さんの調査によれば、篠山出身の高級職業軍人は異例とも言える多さで、昭和18年当時、県内に2人しかいない最高位の「大将」が、ともに篠山出身だった。この流れをつくったのは、篠山藩の青山忠誠公で、明治維新後、生きる道を求めて多くの藩士族が軍人になったという。明治40年に歩兵第七十連隊が篠山に置かれ、軍との結びつきがいっそう強まったという。 山口さんは、昭和9年の生まれ。昭和16年に国民学校に入学し、12月に太平洋戦争が開戦、5年生で終戦を迎えた。「子どものころの自分自身に対する供養も込めて」調べたと言われた。 そういえば、父方の伯母も同年代。戦争体験の絵本をつくり、小学校で話をしたりしている。伯母いわく、終戦年生まれの父は、「戦時中の苦労を知らない」そうだ。まさに、戦争を語れる最後の世代なのだろう。つい60年前の日本のできごとについて、いろいろな話を聞いておきたい。(徳舛 純)