芭蕉と鵜飼

2008.10.08
丹波春秋

 先月、名古屋での同窓会の2次会で岐阜の長良川の鵜飼漁を堪能した。翌日、川べりに「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」という句碑を見つけた。鮎を獲るだけで自分は決して食べさせてもらえない鵜のことは我々も同情したが、さすがは芭蕉である。▼帰路、岐阜から電車で15分ほどの大垣に立ち寄った。「奥の細道」の旅の終点となった所で、ここには地元の俳人らとの別れを惜しんだ「蛤のふたみに別れ行く秋ぞ」の句碑がある。伊勢をめざして桑名に向かう川船を前に、名物の蛤を詠み込んだという。▼江戸出発の際の「行く春や鳥啼(なき)魚の目は泪」と対になっているが、長良川の鵜舟と言い、彼はよくよく魚貝に縁があったのか。▼かと思えば、「色付くや豆腐に落ちて薄紅葉」。大垣の美術館で観た地元出身の文化勲章画家、守屋多々志展にあった「扇面芭蕉」シリーズの1句だが、艶やかな遊女が夕べ、ひとり香をたいている絵に驚いた。守屋の独自の解釈なのだろうか、実に新鮮。ほんのり染まった横顔に引き寄せられながら、枯れたとばかり思っていた芭蕉の句が俄然、色付いてきた。▼そう言えば、「一家(ひとつや)に遊女も寝たり萩と月」という句もあったな。想像をたくましくしていると、「おもしろうてやがて悲しき」の句も、一段と味わい深くなる。 (E)

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