旭東電気社長 加納勲さん

2010.04.22
たんばのひと

中国市場で積極展開
(かのう いさお)尼崎市在住

 1941年 (昭和16) 丹波市氷上町生まれ。 福知山商業高校 (現福知山成美高校) 卒業後入社。 営業本部長、 取締役事業部長、 副社長を経て2007年から社長。

 安全ブレーカー、 漏電遮断器、 電子機器などを製造し、 大手電気メーカーなどに販売する1945年創業の老舗メーカー、 旭東電気 (本社・大阪市旭区) の社長。 自ら子会社の立ち上げにかかわった中国での経験をバネに、 積極的な経営を行う。
 一からスタートした中国ビジネスは170億円を売り上げるまでになり、 国内の80億円を上回る。 社員は国内550人、 中国3000人。 事業成功の裏には、 1人の中国人青年との出会いがあった。 知人に頼まれ、 神戸大学に留学した学生の保証人になったのがきっかけ。 「保証人になってもらった恩義がある」 と同社に入社したのを縁に意気投合。 用地探しから始め、 2人で工場を立ち上げた。 その青年は、 現在中国子会社の事業責任者。
 1993年に取締役海外事業推進担当として、 香港で会社を興した。 続いて、 広州、 上海で現地法人を設立。 「モノづくりは人づくりを柱に、 相互に尊敬し、 信頼し、 融合するという企業理念を社員が良く理解してくれた」。
 中国の会社は全寮制。 若い女性が中心だったが、 親代わりのように面倒を見た。 「広州の工場では、 誕生会やカラオケ大会などを通して、 心の通い合う会社を目指した」 と振り返る。 日本から出向した社員が日本語を教えるなど日中社員の交流も活発に行った。
 不景気風が吹く中でも、 業績は好調。 「東アジアというグローバルな視野で経営戦略を練る。 携帯やデジカメの基板のほか、 電気自動車用充電プラグの生産も始めた。 先を読む、 流れを読む力がますます必要」 という。 中国に通算6年滞在し、 3年前、 65歳で社長に。
  「丹波の山や川で遊んだ元気な体と素朴さ、 明るさが取り柄」 と豪快な笑いを見せた。 「将来設計と夢を持って」 と丹波の若者に呼びかける。 (臼井 学)

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