「幻の甲子園」とは初耳だった。早坂隆のノンフィクションを基にしたNHKのドキュメンタリー。ロケで春日スタジアムも使われたそうだが、観て驚いた。▼戦時下の昭和17年、前年に中止されていた夏の中等野球は、戦意高揚を企図する政府・軍部の手で「大日本学徒体育振興大会」の一環として復活。ドラマの冒頭は決勝戦、徳島商相手に平安中の富樫投手が延長の末、満塁押し出し四球でついに力尽きる。捕手が「150キロは出ていた」と証言するほどの剛球で、1、2回戦とも完封したが、その後、腕が腫上がり、激痛をこらえての投球だった。▼選手を「選士」と呼んだこの大会は特別ルールが作られ、「選士の交代は許されない」。「球をよけてはならない」。責任を回避するのは敢闘精神に反するからという。しかも決勝戦は、雨で引き分け再試合となった準決勝と同日決行だった。▼清沢洌は昭和19年、「日本を滅ぼすものは、信じ得ざるまでの観念主義、形式主義の教育」と日記に書いた(8月10日号日経)が、まさにその通り。▼それでも元球児らは「当時、野球は敵国の球技と、白い眼で見られていた。だから甲子園に出られたのは本当にうれしかった」と振り返る。戦況の悪化に伴って召集年齢は引き下げられ、彼らの多くが戦場に散っていった。 (E)