過日のことだ。いつものようにテレビの主電源を押してテレビをつけ、こたつに入ったものの、リモコンが見当たらない。仕方なくこたつから出て、テレビの本体にあるチャンネルのボタンを押した。昔はそれが当たり前で、苦にしなかったのに、どうにも面倒に思えてならなかった。▼ほどなくリモコンが見つかったからいいものの、リモコンのない状態が続いたら、いらいらが募っていただろう。リモコンのない時代に戻れなくなっているわが身を省みざるを得なか
った。▼先日、講演で聞いた話だが、リモコンがなく、テレビ本体で操作する場合、年間で4万歩ほど歩くそうだ。リモコンは、この4万歩という手間を省いてくれた。手間を省くとは、便利になることだ。▼リモコンは確かに便利な機器だ。こたつに居ながらにして、即座にテレビを操作できるのだから。でも、便利さに浴する一方で、以前は当たり前だった手間を嫌がる自分ができあがった。リモコンがない、たったそれだけのことでいらだってしまう耐性のない自分だ。▼先の講演で、リモコンのない状態に小学生を置いた実験をすると、30分もしないうちにキレてしまうという話も聞いた。生活が便利になるのはいい。しかし、そのために失われたものはないか。立ち止まって考えたい。(Y)