50年前に甲子園の選抜高校野球大会に出場した柏原高野球部OBが母校に記念プレートを設置したセレモニーに、同期生として参加。以下はその席で聞いた、当時の浜田邦夫監督の話。▼―私は「青年監督」と呼ばれていた。出場チーム中、3人ほどいた20歳代のうちの1人だ。その4年前の夏、朝日新聞入社4カ月後に柏原の支局に着任。彼らの3年上の選手から面倒を見始めた。▼ただ投げて打って守っているだけ、というのが最初の印象。それから、バットを平気で足で転がすなど、道具を粗末にしている。ベンチから相手を口汚く野次っている。「マナーをしっかり教える」。ここからのスタートだった。▼技術も経験も都会のチームより劣っている分は、頭で補わなければならない。しごくことはせず、「頭を使って考える野球をしろ」と繰り返し話した。それともう一つは、「長所を伸ばす」。左が弱い野手に左のゴロばかり集中ノックしてもだんだんやる気を失う。だから位置を左に少しずらし、得意な右方面を重点的にノックした。▼―浜田氏は、当時の筆者から見ても、非常に静かで温厚な人だったが、こういう所に、田舎の高校生を桧舞台にまで成長させた秘密があったのか。「でも、私が彼らを甲子園に連れて行ったのではない。彼らが私を連れて行ってくれた」。(E)